vol.261 植村直己さんの真実
2024-08-04
・植村さんの話しの続き
・デナリという土地
・エベレスト登頂のエピソード
・消息不明の植村さんの真実
いま(収録)3回目かな?それくらいだ。
3回目か4回目ですね。
(※4回目です)
あん。さんのお便りから、上村さんの話に入ってきまして。
マッキンリーという、あのカナダ、アラスカですよね。あの辺の最高峰、6000M以上なんですけれども、マッキンリー山というのがありまして。今はね、マッキンリーって呼ばないよね。〝デナリ〟かな?
マッキンリーというのはね、昔の大統領の名前なんだよね、確か。
その名前にとってつけたんだけども。
本来デナリというたしか、土地、その土地ではお名前…名前なんですね。
今はもう現在はデナリに名前が変わっています。
でー…植村さんね、結構すごい方で。
1970年にエベレストに日本人で一番最初に登頂したんじゃないですかね、確か。
あの時はね、ちょっと間違っているかもしれないけどエベレストの登山隊、日本の登山隊というのがあって。どこだっけな。それはどっかの、日本じゃないのかな?
早稲田かな?どっかの登山部の、山岳会かな?の。
エベレストに登頂しようということで、植村さんもお金がなかったので、荷物運びで、連れてってもらったんですね。
で、ところが、えらい働きがいい。元気そうなので初登頂の…グループに「お前行ってこい」みたいな感じで。よく働いて真面目だったんでしょうね、だから好感を持たれて行ってきなさいということで行ったんでしょうね。
そしたらね、登頂できちゃったんですね。
だから、植村さんだけじゃなかったんじゃないかな。もう一人誰かおられたと思いますよね。
一緒に登頂されていますよね。
(※1970(昭和45)年5月11日、日本人が初めてエベレストの頂上に立った。
日本山岳会エベレスト登山隊の松浦輝夫(36)、植村直己(29)両隊員が東南陵から登頂に成功した。)
植村さんはその、先に登っていたんですけれども「どうぞお先に」という感じで、二人とも肩を並べて登ったというお話しが、逸話が残っていますけれども。
まあ、植村さんらしいですよね。
多分日本人で初登頂ですよね。エベレストで1970年でしたか。これはすごいですよね。
まあマッキンリーの話に戻りますけれども。
そのマッキンリーに登って降りてくる時に消息が不明、わからなくなっちゃったんですね。
それから大騒ぎになって、いろいろ探してくれたんです。みんなが
飛行機・・・まあ軽飛行機が飛んで、ヘリコプターとか捜索隊も向かいましたけれどもね。
いろいろ見つかったんですよ、雪洞つかビバークしたところに。植村さんがね。いろいろな遺物ったら失礼、遺物が手帳とかバッグがあって日記とかもあったわけですよね。
(※ビバーク:予定通りに下山できず、山中で緊急に夜を明かすこと)
で一…飛行機から発見されたものがあって。
それが何かというとですね、実は宇宙全史では 植村さんは物干し竿みたいな長い竿状のものを持って、そういうクレバスがあるようなところは探検するんです。
なぜかというと、落ちたときにガチッとこう、そこで止まるという保険ですよね。
それは常に持ち歩いているんですよね、持ち歩いておられたんですよ。
ところが、このときはその竿ごと落ちています、植村さん。
どういう状況だったのかわからないですけれども、クレバスってのはそもそもクレバスに落ちるという状況は、大体雪が上に積もっているか、薄い氷が張っていて突然落ちますから、それが広いところだと竿では支えきれない。要するに竿が素通りしてしまうという場所もあるわけですよ。
そうだったんじゃないか。
あるいは方向が縦に割れているか、横に割れているか。
クレバスでの方向で止められないことがありますから、植村さんそのまま落ちちゃったんでしょうね。
途中で止まっているんですよ、植村さん。竿のせいで。おかげでというか、せいというか、ガツーンと。
かなり深くですけれども、それで止まっています。
そこで、でもね植村さんはほぼ気を失った状態でそのまま絶命しています。
だからほとんど苦しんでいません。
その後しばらく朦朧としているんですよ、しばらく。
朦朧としている時に急にですね、植村さんは肉体から抜け出しているんですね。
抜け出してどこへ行ったかというと、まあ宇宙全史では書いてあるんですけれどもそれをじゃあ次回お話しします。